先日、他社で管理職をしている知人と食事をしていたとき、ある相談を受けました。
定時後、自主的に業務改善のためのシステム開発を行っていたところ、上司が残っていると、他の人が帰りづらくなるからやめてほしい、と言われたそうです。
それは、会社から命じられた業務ではなく、残業を指示されていたわけではありません。
むしろ彼は、その日のタスクを終えた部下に帰るよう声を掛け、自分だけが残って作業を続けていたとのことでした。
目的は職場全体の効率化です。
少しでも業務を楽にしたい。
少しでも働きやすい環境を作りたい。
そんな思いで続けていたそうです。
それでも、誰かが帰りづらく感じるかもしれないという理由で、その行動を控えるよう求められたそうです。
私はこの話を聞いて、すぐにどちらが正しいとは言えませんでした。
なぜなら、どちらの立場にも一定の理屈があるように思えたからです。
上司や先輩が残っていると、本当に帰っていいのだろうかと感じる人はいます。
会社が「帰っていい」と言っていても、心理的な影響を受けることはあるでしょう。
そうした「不安」や「圧力」を減らそうとする考え方は、私も十分理解できます。
また、組織運営においては、個人の意図だけではなく、周囲がどう受け取るかも重要です。
そういう意味では、会社側の判断にも一定の合理性はあるのかもしれません。
一方で、その知人も残業を強要していたわけではありません。
定時になれば帰るよう促し、自分が残る理由もしっかりと説明していたそうです。
それでもなお、誰かが帰りづらく感じる可能性があるという理由で、自主的な改善活動そのものが問題視される。
それには少し、考えさせられるものがありました。
そして私は、この話をきっかけに、ある疑問を持つようになりました。
それは、組織は誰に合わせて設計されるべきなのだろうかという疑問です。
近年、多くの場面で「配慮」の重要性が語られています。
不安を感じる人がいるならば、その不安を減らそう、心理的な負担があるならば、その原因を取り除こう。
私はこの考え方自体を否定するつもりはありませんが、同時に気になることもあります。
それは、配慮によって守られる人がいる一方で、その配慮によって行動しづらくなる人もいるということです。
例えば、今回の内容でいえば、帰りづらいと感じる人への配慮は議論されました。
では、自主的に組織を良くしたいと考える人への配慮はどうでしょうか。
もちろん、全員が同じ働き方をする必要はありません。
仕事が終わったら帰る人がいていい。
決められた業務を着実にこなす人がいていい。
それは自然なことです。
しかし同時に、改善したい人がいてもいい。
挑戦したい人がいてもいい。
組織のために、もう一歩動きたいと思う人がいてもいいと、私は思っています。
組織には様々な人がいます。
安心して働きたい人。
決められた範囲の仕事を着実にこなしたい人。
そして、もっと良くしたい人。
自ら課題を見つけて改善したい人。
どちらも組織には必要な存在でしょう。
組織とは、いったい誰を基準に設計されるべきなのでしょうか。
不安を感じる人でしょうか。
主体的に動く人でしょうか。
それとも、その両方を成立させる仕組みを目指すべきなのでしょうか。
私には答えがありません。
ただ一つ言えるのは、配慮が増えることで救われている人がいる一方で、その配慮によって窮屈さを感じている人もいるということです。
そして、その「後者の声」は、あまり議論されていないように感じます。
組織は、人に合わせて環境を変えるべきなのでしょうか。
それとも、人が成長することで乗り越えていくべきなのでしょうか。
あるいは、その両方を成立させる方法があるのでしょうか。
皆さんはどう思いますか?
この記事は、筆者自身の思考と考察をもとに、AIのサポートを受けて推敲しています。