四つの世界観と二つのスタイル (実例編1)

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皆さまこんにちは。

前回の投稿では、『四つの世界観と二つのスタイル』を論理的に説明しました。

今回は実例編ということで、普段私たちが耳にする言葉や特定のシチュエーション等を取り上げ、それぞれを考察してみたいと思います。

思考編をまだご覧になられていないという方は、こちら をどうぞ。

低コンテクスト要素の強いもの

・論文

論文は、研究者が自らの研究成果を体系的に示し、論理的に説明するためのものです。

読者が内容を正確に理解できるよう、背景、方法、結果、考察などが明確かつ詳細に記述されていなければなりません。

また、情報の信頼性を確保するために、要所ではエビデンスを加えることが求められるという点も特徴で、論の展開は一貫して低コンテクストに進められていきます。

読者もまた、察しや予測を加えることなく、低コンテクストな解釈で内容を理解していきます。

・討論

討論は、異なる意見や視点を持つ者同士が議論し合い、相互に主張を補強したり反論したりする場です。

発話者の意図が言葉に強く依存し、隠れた意味や文脈に頼らず、直接的に論点を伝えることが求められます。

不完全な主張に対して、相手や周囲が『高コンテクスト』に察しや予測を加えた解釈をしてくれることは、ほとんどありません。

そのため、主張側は低コンテクストな観点でしっかりと主張を明示し、受け手もそれを低コンテクストに解釈することが、討論の基本です。

・法律

法律は社会のルールを定めるものとして、曖昧さを排除し、誰にでも同じ意味で解釈できることを重視しています。

その性質上、文脈や個人の解釈に依存しない、普遍的で明確な表現が必須です。

仮に法律が高コンテクストであったなら、解釈の混乱が頻発し、社会の秩序は保てなくなるかもしれません。

各々の気分や感情、解釈の仕方に左右されないものとして、低コンテクストに存在していなければならない代表例です。

・規定

規定とは、組織や業務内でのルールや基準を明文化したものです。

従うべき内容が明確に定められ、誰が読んでもそのまま実行に移せるよう、簡潔かつ具体的に書かれています。

文脈の解釈や推測が不要であり、その時の気分や感情、個人的な解釈に左右されることがないため、法律と同様に低コンテクストな性質が強いといえます。

・契約

契約は、当事者間の合意を明確に記録し、双方にとって安心できる基盤を提供するものです。

曖昧さを避け、具体的な条件や責任が明示されることで、合意内容を正確に実行に移す役割を果たすものですので、規定同様に低コンテクストである必要があります。

・命令

命令は、指示や指導を行う際に用いられる直接的な表現で、曖昧さや解釈の余地を排除し、聞き手が行動すべき内容を明確に示す必要があります。

そのため、聞き手もそれを高コンテクストに解釈することなく、指示された内容を正確に理解し、実行することが求められます。

提案やアドバイスは解釈に選択の余地がありますが、命令にはそれがなく、極めて低コンテクストな性質を持つといえます。

・ニュース記事・報道番組

ニュース記事や報道番組の本質は、情報を正確に伝えることであり、その報道内容は事実に基づいて構成されていなければなりません。

視聴者が文脈や背景を詳しく知らなくても内容を理解できるよう、簡潔で低コンテクストな表現が多用されますので、視聴者側にもその特性を認識した上で解釈することが求められます。

事実と異なる報道があった際に速やかに訂正が入るのも、低コンテクストな性質を反映しているといえるでしょう。

・シリアスな会話や状況

シリアスな会話や状況では、話し手と聞き手の間で、余計な推測や誤解が生じないような言葉の選択が重要です。

軽い冗談や含みを避け、直接的で具体的な表現が使用されるため、低コンテクストな性質が強くなります。

そのようなシリアスな場面では、後に説明する『ユーモア』や『バラエティー』の感覚を持ち込むと場違いな空気を生んでしまったり、相手を怒らせてしまうことがあるので、注意が必要です。

・『言語的分岐』の態度

相手に合わせない・相手との距離をとる言語行動が『言語的分岐 (距離化) 』 と呼ばれますが、厳密には、このこと自体が低コンテクストな訳ではありません。

言語的分岐の姿勢や態度を取る人は、相手の発言内容を低コンテクストに捉える傾向が強いと私は感じており、察しや予測を発揮することなく、相手を理解しようとしません。

感情や機嫌によっても左右されると思いますが、私たちの日常にも『言語的分岐』の事例やケースは多々あると思います。

高コンテクスト要素の強いもの

・小説

小説は文字によって世界観や登場人物の感情、ストーリーの奥深さを表現するものです。

文脈や登場人物の背景、行間に込められた暗示や象徴が重要となり、読者の解釈によって多様な解釈が生まれるので、高コンテクストな要素が強いといえます。

・芸術

芸術は、視覚的・聴覚的な要素を通して、作者が言葉では伝えられないメッセージや感情を表現するもので、見る人の文化的背景や感受性、好みや解釈に大きく依存します。

そのため、明確な答えが存在せず、多様な解釈を生む点が高コンテクストであるといえます。

・作品

この世に存在する多くの『作品』には、作者の背景や意図、文化的な文脈などが反映されることが多く、受け手がそれを理解することで、初めて意味が完全に伝わる場合があります。

同じ作品であっても、見る人の知識や感受性、解釈の仕方によって認識が異なるので、こちらも高コンテクストな性質であるといえます。

また、『作品』に対してあまり低コンテクストな捉え方をすると、発信側と認知側との感覚に大きなギャップが生まれます。

近年、SNSでは批判のコメントが集中するようなコンテンツ (フェイク動画など) を多く見かけますが、リアルではなく作品の可能性もある (最初から人を騙す目的で作られたものは別) ということを、見る側は理解する必要があります。

・比喩・慣用表現

比喩・慣用表現は、ある事柄を他の事柄に例えることで間接的に伝える『表現手法』のひとつですので、自ずと高コンテクストな性質を持つこととなります。

話の中で比喩的な表現が出てきたとして、それを言葉の意味通りに捉えるようなことはしませんよね。

発信側からしても、比喩表現や慣用表現を低コンテクストにそのままの意味で捉えられてしまっては、非常に困ります。

・恋愛

恋愛は、感情や関係性が文脈や暗黙の理解によって成り立つものです。

相手の表情や仕草、言葉の裏にある意図や感情を読み取る必要があり、直接的な言葉以上に、非言語的なコミュニケーションが重要な役割を果たします。

ムードが重要であり、サプライズで相手を喜ばせるようなことも多いので、低コンテクストな感覚だけでは上手くいきません。

理屈ではない感覚的な要素が、恋愛にはたくさんありますよね。

・気持ち

『気持ち』は、個人の内面的な感情であり、言葉で完全に説明することは困難です。

そのため、他者がその気持ちを理解するには、状況や文脈、過去の経験など多くの背景情報が必要です。

相手の感情を理解するには、高コンテクストな感覚で接する必要があり、察しや予測を発揮しながらコミュニケーションを取ることが重要です。

・ユーモア

ユーモアには、ジョークなどの高コンテクストなニュアンスを含むことで、親しみやすさや共感を生み出す力があります。

シリアスでない状況や場面 (ユーモアが出ても良い状況や場面) での会話では、低コンテクストな姿勢で接すると、場の雰囲気を壊してしまう可能性がありますので、発信側・受信側の双方がその場に適したスタイルを取ることが重要です。

・バラエティー番組

ニュース番組は、情報を正確に伝えることが重要であり、報道内容は事実を基に構成されなければなりませんが、バラエティー番組は正反対の性質を持っています。

視聴者はユーモアを理解し、高コンテクストな解釈をすることで、笑ったり楽しんだりしています。

どの番組にもある『台本』の存在そのものは、低コンテクストな要素を持つものですが、バラエティー番組では必ずしも、事実を基にした台本が作られている訳ではないので、どちらかといえば作品的な要素が大きいでしょう。

そのため、バラエティー番組を低コンテクストに捉えるとおかしなことになります。

誰かのネタやコントを見て、それをシリアスに解釈することは、普通はしないですよね。

・『言語的収束』の態度

相手に合わせる・相手との距離を縮める言語行動が『言語的収束 (調和) 』と呼ばれますが、厳密には、このこと自体が高コンテクストな訳ではありません。

言語的収束の姿勢や態度を取る人は、相手の発言内容を高コンテクストに捉える傾向が強いと私は感じており、察しや予測を発揮しながら、言葉だけでなく、その背後にある意図や感情を理解しようとします。

その時の感情や機嫌によっても左右されるとは思いますが、私たちの日常でも『言語的収束』の事例やケースは多くあるのではないでしょうか。

最後に

以上、二つのスタイルの基本的な性質を例とともにお話してきましたが、これらの概念を理解することで、物事の解釈は大きく変わると思います。

物事 (の属性) に対する自分のスタイルが異なることで、解釈や理解にズレが生じたり、発信側と受信側のスタイルが異なることによってコミュニケーションに支障が出るということは、私たちの生活の中でも多く見受けられる現象です。

私たち人間は、興味のあるモノやコト、好みのモノやコト、好感を抱いているモノやコトに対しては、高コンテクストな姿勢や態度を取る傾向がありますが、興味のないモノやコト、好みではないモノやコト、嫌悪感を抱いているモノやコトに対しては、低コンテクストな姿勢や態度を取りがちです。

一般的にはこれを『選択的共感』と呼ぶそうですが、コミュニケーションの観点では、高コンテクストは人の好みや感情といったような『人間っぽさ』 (感情や好みへの依存・個別の状況や関係性、非言語的要素の重視など) を表していることが多く、低コンテクストはそうした『人間っぽさ』だけでは不十分なところ (曖昧さの排除や普遍性と公平性の重視、効率的な情報伝達といった、より機械的な要素) を補う役割を果たしているのだと、私は分析しています。

ここまで、かなりの情報量となってしまいましたので、『四つの世界観』の実例に関しては、次回の投稿で取り上げることにします。

最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。


※この記事は私自身の考察をもとに、ChatGPTのサポートを受けて推敲しています。

この記事を書いた人
H.M

幅広い視野と深い思考力を発揮し、あらゆる課題や物事に対して冷静かつ論理的にアプローチすることを心掛けています。また、洞察力を活かして本質を見抜き、多角的な視点で分析をするのも得意です。

少年時代に習っていた『サッカー』を通じて培った思考や理論は、社会での経験と融合し、現在のスタイルを確立する基盤となりました。

私にとって仕事とは競技そのものであり、独自の理論である『選手究極論』を掲げながら、日々さまざまなことに挑戦し続けています。

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