四つの世界観と二つのスタイル (前編)

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みなさま、こんにちは。

今後このブログでは、「勝者のメンタリティ」を象徴する、さまざまな要素にスポットを当てながら、それぞれの「核心的な部分」に迫っていきたいと思います。

それに先立ち、まずはこの先のすべての考察に通底する【四つの世界観と二つのスタイル】の概念を、読者の方々にご紹介いたします。

所要時間は約7分と、やや長めの記事にはなりますが、最後まで目を通していただければ幸いです。

四つの世界観

人が持つ世界観は、【個・共生・競争・勝負】の四つに分類できると、私は考えています。

これらの視点を踏まえて物事を考えることで、人の思考や行動の背景にある意識や感覚を深く理解し、それが周囲にどのような印象や影響を与えているのかを説明することができます。

まずはこちらのイメージをご覧ください。

私たちは日々、さまざまな出来事に遭遇し、その時々の状況や場面に応じて、これら四つの世界観を行き来しています。

プライベートな空間では「個の世界観」の感覚が強く働きますが、公共の場では「共生の世界観」の感覚が求められます。

社会に出れば、「競争」や「勝負」といった熾烈な世界観と向き合うこともあるでしょう。

このように、その場その場で適切な世界観を見極めながら、自身の感覚を柔軟に切り替えていくことが重要だと、私は思っています。

個の世界観

私たち人間は、誰もが「自分だけの世界」を持っています。

この内面的な領域のことを、私は「個の世界観」と呼んでいますが、そこには嗜好や信条、価値観や思考の傾向、さらには物事への向き合い方や感受性など、その人の内面をかたちづくる、多様な要素が織り込まれています。

この世界観の最大のポイントは、他者からの影響を受けることはあっても、他者によって干渉されることはないということです。

十人十色という言葉が示すように、それは人の数だけ存在する「唯一無二の世界」であり、四つの世界観の土台を成すものとして、私はこの世界観を、最も基礎的な位置づけとして捉えています。

共生の世界観

次に、私たちの外側に広がっているのが、共生の世界観です。

ここでは、自分自身の考えや価値観を大切にしつつも、それを他者に強いることなく、違いを受け入れ、調和を図る姿勢が求められます。

個の世界観が「内面の自由」に重きを置くものであるならば、共生の世界観は「外側との関係性」に目を向けるものだといえるでしょう。

同時に、個の世界観では「自分自身の内面に正直であること」が大切でしたが、共生の世界観では、自分の価値観や意見を持ちながらも、それをどのように伝え、どの場面で示すかという「関わり方」が重要視されます。

また、共生の世界観には「競い合い」や「勝敗」といった概念が存在しません。

優劣という感覚自体はあるものの、それを否定的に捉えるのではなく、あくまでも「違いの一つ」として受け入れる視点が、この世界感の根本にはあります。

「自分らしさ」を持ち続けながらも「自分中心」になりすぎないこと。

そんなバランスを意識することが、共生の世界観の中では重要であると、私は思っています。

競争の世界観

競争の世界観に入ると、これまでの個や共生に基づいた感覚とは、見方・考え方・価値観のすべてが、まったく異なる基準へと切り替わっていきます。

特に、格差をなくして共に生きることを目指す『共生』とは真逆の世界観であり、私たちの身近にある「スポーツ」や「ビジネス」は、この世界観を象徴する代表的な存在だといえるでしょう。

競争の本質は、むしろ成果や能力において格差を生み出し、明確な序列を築いていくというところにありますので、「個」や「共生」の感覚のままでは通用しないことがほとんどです。

私のこれまでの経験からすると、この世界で成果を上げられない人の多くは、発揮している感覚の世界観が噛み合っていないことが原因です。

競争の感覚を根本から理解できていなければ、周囲との差は次第に開いていくでしょうし、それに適応することができなければ、やがては置いていかれることとなるでしょう。

もちろん、ルールや条件においての「平等さ」は必要です。

スポーツの世界でいえば、ハンデキャップ競争など、あらかじめそれを容認したうえで行われる場合には、ルール上、不平等が認められるケースもありますが、基本的には競争の出発点が不平等であれば、それは勝負ではなく不条理です。

そうした意味での平等さは必要ですが、一度スタートラインに立った後は、格差が生まれるのが自然であり、むしろ当然のことですので、自ら進んで、良い意味での不平等(優位性)を作り出していく意識や行動が不可欠です。

私はそれを「ポジティブな格差」と表現しています。

また、個や共生の世界観の中では受け入れられてきた「十人十色の価値観や考え方・やり方」も、この世界では、必ずしも肯定的に理解されるとは限りません。

成果が伴わない場合は、その思考や方法に改善や変更を求められるのが当然であり、ここも共生の感覚とは大きく異なるポイントです。

「結果がすべて」とまでは言いませんが、競争の世界では結果や成果を基軸に、逆算した物事の考え方をしていくので、個や共生の感覚の多くは、この世界では共感を得るのは難しいでしょう。

厳しい考え方かもしれませんが、これがリアルな「競争の世界」の本質だと、私は捉えています。

勝負の世界観

勝負の世界観には、競争の世界観と共通しているところが多くありますが、本質的な部分には明確な違いがあります。

競争とは、「ひとつでも上の順位(序列)を目指すこと」が目的ですが、勝負とは、常に勝者(一位)になることを目的としており、順位や序列ではなく、勝利そのものを追求します。

『二位は敗者の一番手』という、勝負の世界観の核心をついた一言は、あまりにも有名ですよね。

たとえば、あるスポーツにおいて、オリンピックの出場権が「一位の選手のみ」に与えられるとしましょう。

競争の観点(序列)からすれば、二位は立派な成績であり、称賛に値するものですが、オリンピックの出場権を得るという目的でいえば、二位では意味がありません。

勝負の本質とは、勝者と敗者を分ける明確な分岐点が存在するところにあるのです。

選挙もまた「勝負の世界観」を象徴する代表的な事例です。

ここではタイムリーな話題として『東京都知事選挙』を例に考えてみましょう。

今回は過去最多の候補者数となっているようですが、当選となるのは、その中のたった一人です。

どれだけ多くの票を得たとしても、二位以下の候補者は『落選者』となり、知事という役職に就くことはできません。

このように、選挙は勝者と敗者を明確に分ける『勝負の典型例』といえるのではないでしょうか。

ビジネスシーンでも、たった一つのポジションを争うような局面では、競争を超えた勝負の覚悟が求められます。

このとき、重要なのは『誰にも負けない』という強い意志と、自分に厳しく向き合い、徹底的に自分を追い込むマインドです。

私たちは、状況や目標に応じて『競争』と『勝負』という、異なる世界観を使い分けていく必要があるのではないでしょうか。

まとめ

これまで述べてきた四つの世界観の特徴を、それぞれまとめてみました。

個の世界観

  • 自分だけの価値観や信念、趣味が含まれる内面的な領域。
  • 他者から干渉されることなく、自由に形成される唯一無二の世界観。
  • 多様性を尊重し、優劣の概念が存在しない領域。
  • 「十人十色」の言葉に象徴される、人それぞれ異なる個性が根幹。
  • あらゆる世界観を考える際の土台となる。

共生の世界観

  • 他者との関わりを通じて、互いを尊重し支え合う協調的な世界観。
  • 社会の中で一員として生きる上で欠かせない感覚や姿勢を持つ。
  • 優劣は存在するものの、それが否定的ではなく個性として受け入れられる。
  • 「競い合い」や「勝敗」といった概念が存在しない。
  • 個の世界観が適切に発揮されない場合、協調が損なわれる可能性がある。

競争の世界観

  • 『個』や『共生』の感覚から一変し、能力や結果によって格差を生み出し、序列を築くことが本質。
  • ルールや条件の上での『平等さ』を前提にしつつ、その中で『優位性』を獲得することが求められる。
  • 他者を上回るために、与えられた『公平』の枠を超え、『ポジティブな格差』を生み出す必要がある。
  • 努力は必要条件であり、結果を追求する姿勢や成果への執着が成功の鍵となる。
  • 成果や結果を基軸に考え、結果が伴わない場合には改善や変更が求められるのが当然である。

勝負の世界観

  • 一位になることを目的とし、勝利そのものを重視する領域。
  • 序列ではなく「勝者と敗者」を明確に分ける本質がある。
  • 「二位は敗者の一番手」という厳しさを象徴する価値観。
  • 選挙やオリンピック出場権争いなど、結果が明確な分岐点を生む局面が典型例。
  • 誰にも負けない意志と自己追求のマインドが必要とされる。

かなりの情報量となってしまったので、この記事はここで一旦

次回の投稿では、「二つのスタイル」について、お話ししていきたいと思います。


※この記事は私自身の考察をもとに、ChatGPTのサポートを受けて推敲しています。

この記事を書いた人
H.M

幅広い視野と深い思考力を発揮し、あらゆる課題や物事に対して冷静かつ論理的にアプローチすることを心掛けています。また、洞察力を活かして本質を見抜き、多角的な視点で分析をするのも得意です。

少年時代に習っていた『サッカー』を通じて培った思考や理論は、社会での経験と融合し、現在のスタイルを確立する基盤となりました。

私にとって仕事とは、競技そのものであり、独自の理論である『選手究極論』を掲げながら、日々さまざまなことに挑戦し続けています。

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